丑の刻参りで“追いかけられた”夜──友人が語った戦慄の体験談
丑の刻参りで“追いかけられた”夜──友人が語った戦慄の体験談
はじめに
この記事で紹介するのは、私のオカルト仲間であるS氏(仮名)が語ってくれた、ある夏の夜の実話です。
彼は学生時代から霊的な現象に興味を持ち、全国の神社や心霊スポットを巡るような人物で、半ば趣味、半ば調査としてフィールドワークを続けていました。
そんな彼が、あるとき静かにこう言いました。
「あの夜だけは、マジで“何か”に追いかけられた気がする」
丑の刻参り――古代から伝わる呪いの儀式。その現場に偶然出くわしてしまったS氏は、その後、説明のつかない恐怖体験をすることになります。
丑の刻参りとは?──知られざる呪術の概要
丑の刻参り(うしのこくまいり)とは、午前1時から3時(=丑の刻)に、恨みを持つ相手を呪うため、神社の御神木に藁人形を五寸釘で打ちつけるという日本古来の呪術です。
白装束に身を包み、鉄輪に立てた蝋燭を頭に乗せるという装束も伝えられており、いわゆる“怖い儀式”の代名詞とも言えます。
しかし、S氏によると──
「あれはもう、“本当にまだやってる人がいる”んだよ」
と断言します。
S氏の体験:神社で出会ってしまった「何か」
ある夏の夜、S氏は肝試しのつもりで、地元でも噂の絶えない小さな神社を訪れました。
時間は午前1時半。まさに“丑の刻”真っ只中。
鳥居の奥から、「トン…トン…」と何かを打ちつけるような音が断続的に響いてきたそうです。
風ではない、木の軋みでもない。あきらかに人工的なリズム。
懐中電灯を消してそっと近づいたS氏は、御神木の前で藁人形を打ちつけている人物を目撃しました。
白装束、蝋燭、そして手にした木槌。
その姿は、まさに伝承そのままだったと言います。
見つかった…そして「追われた」
S氏はその場を離れようとした瞬間、その人物がこちらを振り向いたと感じたそうです。
顔は暗くて見えなかった。ただ、視線だけが確かに合った。
静かに──しかし明らかに、一歩、また一歩と近づいてきたとS氏は言います。
足音はなかったものの、何かの“気配”が迫ってくる感覚。
「これはヤバい」と思った彼は全速力で神社の石段を駆け下り、大通りまで逃げたとのこと。
しかし、背後にはずっと「誰かがついてきている」気配があったと言います。
なぜ「丑の刻参りでは追いかけられる」のか?
この体験の後、S氏と私は一緒にさまざまな説を検討しました。
1. 心理的な錯覚
深夜・暗闇・罪悪感という状況が、追跡されているような感覚を脳内で作り出す。
2. 呪術的反応説
丑の刻参りは“念”を集中させる行為であり、その呪力に“見た者が引き寄せられる”可能性がある。
3. 霊的介入
術者そのものが意識的に“追ってきた”のではなく、呪いに反応した何か霊的存在が現れたという説。
現代でも丑の刻参りはあるのか?
SNSやネット掲示板を見ても、丑の刻参りらしき目撃談は少なくありません。
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「藁人形が神社に打ちつけられていた」
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「夜中に白装束の人を見た」
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「近所の神社に蝋燭の跡があった」
こうした報告は、決してフィクションとは言い切れないレベルで存在しています。
まとめ:見てしまった者にも“何か”は残る
S氏は今でもあの夜のことをはっきり覚えていて、あれ以来、夜の神社には決して近づかないそうです。
最後に彼が静かに言った言葉が、今も耳に残っています。
「呪ってる人より、見た人のほうが後味悪いって、どういうことなんだろうな」
好奇心や肝試しで神社に行くのは、止めはしません。
ただ──“見てはいけない儀式”を目撃してしまったとき、
あなたは、無事でいられる自信がありますか?
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